世界遺産 MODENA

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ゆったりとした時間が流れる美しい世界遺産の街、MODENA。
先史時代に歴史を遡り、ローマ人の居住、自治としての発展、宗教抗争という歴史をたどった街です。
今なお、中世の色合いを色濃く残し、時が止まったようです。




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12世紀に完成したロマネスク様式の傑作のDuomo。
バラ窓のファサードが美しく、正門には二頭のライオンがにらみを利かせています。

団体行動の限られた合間に撮ったから、全体を捉えた写真がこれ一枚しかない!
画像の色がいまいちだし、微妙にちょん切れてるし。。。
団体行動を乱さないようにするために、デジイチを持ってこなかったのですが、
訪れる場所が本当に素敵な場所ばかりだから後悔オンパレード。。。
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ロマネスクらしいアーチが聳え、円柱が連なる荘厳な聖堂。
モデナは世界三大テノールの一人であるパヴァロッティの生まれ故郷でもあり、2007年にはこの場所でパヴァロッティの葬儀が営まれました。
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宙を浮くような金色の十字架を境に、内陣と後陣が仕切られています。
後ろ側のモザイクの美しさも見応えがあります。
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小さなイエズス様を胸に抱くマリア様を、私もこの右側の像と同じような気持ちで伏し拝み、
この場所に導いてくださったことへの感謝の祈りを捧げました。
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奥に控える小聖堂の隣には、モデナの守護聖人のサン・ジミニャーノの石の棺が置かれています。
外からの攻撃から街を守り、信仰を貫いたサン・ジミニャーノは、街の人々の心のよりどころとなっています。
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ほの暗い空間に、ここだけ光が差し込んでいるような小さな祭壇です。
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キャンドルに光を灯すイタリア人のスタッフのステラ。
彼女もサン・ジミニャーノの深い信仰を心から尊敬していると言っていました。
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ほの暗い小聖堂で心の中で祈りを捧げながらも、遠い昔と同じ情景を目に焼き付けてきました。
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時間が押していたので、「早く外に出なさい!」と発破をかけながら暗がりの聖堂から外に出ると、
強烈な太陽の光が目に刺さる!!!

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聖堂の前に座り込んで、この街にまつわる歴史の説明を受ける我々の集団。
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ちょっとした路地も絵になるんです。
足早に通り過ぎるのが惜しいのなんの!
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黄色の壁と日よけの窓枠のお洒落なこと!
パステル調の色使いが見事に調和していて、とても素敵な広場にてしばし休憩。
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150人の大集団だからグループに分かれて歩くので、到着しないメンバーをこうして待つことが多いのです。
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ドゥカーレ宮殿。
よく見ると、フロアーごとに宮殿正面の窓のデザインが違い、興味を惹かれます。
1288年に建造され、1336年に再建、1634年に改築され、約二世紀に渡ってエステ家の居城となった宮殿です。
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赤茶色の独特な色合いの建物をひたすら歩くとそそられるお店も結構あります。
モデナはバルサミコで有名なので、専門店もありましたが素通り。。。
後ろ髪を引かれっぱなしでした。
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こうして列を組んで街を散策してました。
日陰のアーチは爽やかな風が吹いて気持ちよかった~♪♪

Wikipediaより引用

エトルリア人、紀元前2世紀に始まるエミリア街道の敷設の拠点となった。5世紀から7世紀にセッキア川とパーナロ川の氾濫が原因で、住民はより西のチッタノーヴァに移動した。 モデナは12世紀には自由都市として1288年からはフェラーラのエステ家の元で過ごした。司教区内の人口が徐々に回復し、町の指導者に就いたレオドイーノ司教の定着、その後のガリア人紀元前183にはローマの植民地となった。当時は「ムティナ」(Mutina)と呼ばれは、891年に町の周囲に壁を作った。 司教によるシニョリーアの時期に、新たな大聖堂が建設された。司教の権力は1135年の自治コムーネにより終わったが、1249年のフォッサルタの戦いで、皇帝派のモデナは教皇派のボローニャに敗北し、1288年にはフェッラーラのエステ家の手に渡った。しかし、モデナはチェーザレ・デステ公の時代の1598年以後に彼の公国の首都はフェッラーラからモデナに移された。イタリアとヨーロッパの権力争いによって国の運命は翻弄され外国の軍隊(1702年のフランス、1742年のオーストリア)の占領がり返されるも、唯一ナポレオン時代中断はあったものの、イタリアの統一まで抵抗を繰り返した。 18世紀の終わ繰りと19世紀の始めにはエミーリア、特にモデナ県は当初は社会主義者の、後には共産主義者の砦となった。占領は激しかったがファシストの手当たり次第の暴力により少なくなった。 1940年代のモデナはドイツ占領軍とファシスト軍の作戦よる、破壊、虐殺、略奪、恥辱を受けることとなった。軍はこの地域に全力を再投入したにもかかわらず、市民の大多数の参加による非常に大きなレジスタンス活動により抑圧に成功しなかった。戦後から始まった共産主義政党は街の文化的特質となりつつあったこれらの闘争の遺産を集めた物だった。イタリアのどこよりもこの州において左派の協同組合が生まれるのも偶然ではない。

大聖堂、トッレ・チヴィカ(ギルランディーナ)、グランデ広場はユネスコ世界遺産に登録されている。

752年に設立されたノナントラの修道院は中世において学問の中心であった。


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by dianas7 | 2010-08-13 01:03 | イタリア | Comments(6)
Commented by BelgianWaffle at 2010-08-13 05:54
うわー、きれいですね。
私もちょうど先日モデナの記事をアップしたんですが・・・
私はぼうやが朝から起きちゃって、早朝からドライブがてら行ったので、こんな光の具合ではなく・・・街の雰囲気が全然違います。

ところどころ自分で歩いた場所もあるんですが、、、別物ですねぇ。

そうそう、肝心の教会の塔は工事中でしたよね。
この写真を撮り忘れたのが最大の失敗でした。
工事中ってだけで撮らずに帰るとは・・・
Commented at 2010-08-13 09:31 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2010-08-18 22:58 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2010-08-22 20:57
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2010-08-25 17:25
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by daikanyamamaria at 2010-12-24 23:21
Merry  Christmas。。.☆*:.。.☆*†☆
    
      Joy and Peace to You。.☆*:.。.☆*† 


お幸せで 恵溢れる クリスマスでありますように。。。☆ 。。。☆*:.。.☆*†


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